高田の初市

あいづのパン工房の長谷川です。
前回のブログでは、会津若松の十日市についてお伝えいたしました。
今回は、高田初市(現在の会津美里町高田)のお話です。
ときは14世紀の頃、葦名直盛公(1323〜1391)が会津をおさめておりました。その頃、武士を除く一般庶民の間接統治をする権限、つまり、いまで言う行政の権限を任される仕事を「商人司(しょうにんつかさ)」と言いました。この商人司として任命されていたのが、会津若松の簗田家代々のお方で、19世紀の明治維新まで続いたといいますから、500年近くも簗田家が市長のような職を務めたというわけです。簗田家はその他にも「検断(けんだん)」という刑事事件を判決する仕事も受け負っていました。これは裁判官の仕事もしていたと考えて良いでしょう。
商人司と検断筆頭の屋敷があった会津若松の街なかである大町四ツ辻という場所で、1384年の正月十日に、城下の安泰、五穀豊穣、商家の発展を祈願し、景気相場の行方を占う行事をはじめたのが「俵引き」という行事です。これは俵の両側につなをつけ、商人と農民が引っ張り合ってその年を運勢を占うというもので、商人が勝てば相場上昇で商売繁盛、農民が勝てば五穀豊穣すなわち豊作となるというものです。会津若松の俵引きは、いつのまにかその風習がなくなってしまいましたが、会津美里町高田と会津坂下町では、現在でもその風習が残ります。
俵引きが終わると、市が開かれます。当初は「簗田市」という名ではじまり、これが「十日市」という名に変化しました。簗田市を手本として、会津各地に市の風習が拡がったことから、各地で行われる日程に応じ、市の名が変わってきたのでしょう。
簗田市では、市神様(いちがみさま)として、住吉明神と春日明神を祀り、俵引きでの占いと庶民の市の様子を、市神様に見守っていただくこと。それが正月十日の行事として定着しました。
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さて、会津美里町高田で行われている「大俵引き」と「初市」は、会津若松の「俵引き」と「簗田市」を手本にしてはじまりましたが、会津若松と高田という場所の性質で、少し違う部分がありました。
会津若松という町は、城下町として会津の中心都市という位置づけの場所です。これは14世紀の頃も、いまも同じ位置づけです。一方、高田は広大な農地に囲まれた農村の中心地で、神の信仰としては伊佐須美神社、法用寺などの仏教信仰も盛んな町で、修験僧が町にいる「神仏混合」の農村地域です。
高田で初市を取り仕切っていたのは、連釈商人(連雀ともいう)の吉原家で、いまで言えば商工会会長のようなものかなと思います。当時は、修験僧は連釈商人より上位者であるとされていました。簡単に言えば、商人はお坊さんの言うことを聞いて商売するというものでした。
修験僧は、格別な観念装置である女性の子宮と、宿町と市立ての規定を宗教的な意味付けで語り、これを見守るのは「阿弥陀如来」と「薬師如来」であるとしました。
阿弥陀如来は、阿弥陀仏が法蔵菩薩のときに立てた48の誓願「四十八願(しじゅうはちがん)」という言われがあります。一方、薬師如来は、薬師経の十二の大願があります。
これらの願いひとつひとつを店に割り当て、合計60の店を出すのが「高田の初市」とされたのです。
高田初市.jpg
(画像出展)連釈之大事「修験山伏の市立図」(国立歴史民俗博物館編「中世商人の世界」より)
中程にある「中御堂(なかみどう)」は、阿弥陀如来の願いと薬師如来の願いを隔てるところにあり、ここに住吉明神が祭祀されていたと考えられていますが、記録は残っていません。
このように市が立てられてから300年近く経過した1675年、商人司の簗田家と連釈頭の吉原家で争いが起きました。喜多方で行われている小田付市(おだづきいち)の支配権をめぐり、有利な場所、すなわち、モノが一番たくさん売れる「一丁目一番地」をどちらがとるかということを発端に、どちらが正当な市の主催者かという全面対決に発展してしまいました。
これを審理したのは、検断である簗田家が当事者だったことからか会津藩公事奉行が行い、判断の決定打は、どちらが市神様の祭祀を主催しているかということでした。「市神」の記録を残していた簗田家が有利となり、吉原家は敗北となりました。
これにより、高田では、中世の市立ての風習を継続することが出来なくなりました。
ただ、吉原家は黙っていません。形式より実を取る方を選択したのか、10年後の1685年には高田市が開かれている記録があります。初市とはだいぶ異なるものの、六斎市と呼ばれる仏教思想の六斎日に市を立てるようになり、毎月4日、8日、14日、18日、24日、28日の計6回を、町内で輪番として市を立て、これを吉原家が主催しました。
昭和の時代に入ってからは、このうち14日の市が初市として残り、現在は1月の第二土曜日に市が立ちます。1675年の判決を守り、「住吉明神」と「春日明神」を市神として祭祀しているところは、なんともすごいなと感じるところです。
ただ、実際には、1675年の判決の効力はもうないでしょうから、中世の高田独自のものである阿弥陀如来と薬師如来を祀り、60の店を出す高田初市の風習を復活させ、大俵引きに引き続き市が賑わうような正月の行事となるよう願いたいものです。
(参考文献:「葦名会報」No.6,No.7(葦名顕彰睦会発行)、「中世商人の世界」(国立歴史民俗博物館編))
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