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会津若松の市場のおはなし

あいづのパン工房の長谷川です。
今年からはじまった「あいづ朝市」の試み。
おかげ様で12回の開催を終えることができました。
みなさま、ありがとうございます。
来年へむけどんな朝市に発展させていこうかと想い、会津の「市」の歴史をしらべてみました。
会津図書館の司書さんにたずねると、丁寧に関連文献を探していただきました。図書館でメモメモした内容をお知らせします。
1384年に「簗田市」と呼ばれる市がはじまり、正月恒例の「初市(十日市)」へと発展した市が最初のようです。
市中の武士と大川近くの幕ノ内の農民たちが一同に会し、お正月のあいさつを交わすところに市が立ったといわれます。
その後「〇日町」という地名がいくつか残るように、市中のあちらこちらで3日、13日、23日はここの街でというように、定期的な市へと変わっていきました。
正徳年間(1711~15)には、幕ノ内で太郎兵衛新田青果市場というのがあった記録もあります。
現代に入っては、9つの民間市場が市内に分散して立地していました。
(青果)会津丸果青果市場、丸合会津若松合同青果市場、会陽青果
(水産)会津海産物市場、丸十魚市場、渋川魚問屋、若松海産物市場、山中魚問屋、北村魚問屋
昭和50年に会津若松公設市場が出来てからは、すべての市場が集約され現在に至っています。
しかし残念なことに、いまは市民が自由に出入りできる場所ではなく、業者による取引の場となってしまいました。
筆者は、会津へ平成8年に移住してきた者です。
会津という古い街に、なぜ市民の方々が買い物する市場がないのだろう?とずっと不思議に思っておりました。
公設市場への集約後は、スーパーマーケットが市民のための市の役目を担っていますが、かつてのように「あいづの人々が会津でつくり会津でひらく」という、市の原型を復活させたいものです。
中世以降、自然発生的に発生した市。残念ながら、自由であるはずの現代に「失われた44年間」を会津は過ごしてしまいました。
来年も「あいづ朝市」を発展させていきます。
どうぞ皆様、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
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